高橋紹運!島津軍を感心させた名言がかっこよすぎる!

高橋紹運について解説! 大友家の家臣
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高橋紹運(たかはしじょううん)

おそらく戦国好きの方なら聞いたことくらいはある名前かと思います。マニアの方であれば知っているでしょうけど(笑)

高橋紹運は家臣の身であるにもかかわらず、数々の名言を残していたり、戦国武将としての能力はかなり高い人物でした。

この記事では主に高橋紹運の生涯、名言について紹介したいと思います☻

高橋紹運の知名度:★★☆☆☆☆☆☆☆☆

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高橋紹運の生涯

高橋紹運は豊後(現在の大分県)を支配していた大友家の家臣の子供として誕生します。

紹運が初陣を飾ったのは13歳。大友宗麟の戦いに参加しました。

大友宗麟はすごく優秀な家臣によって囲まれており北九州の6ヶ国を支配するほどになりますが、それを支えたうちの一人が実はこの高橋紹運なのです。

その優秀さは同じく大友家の家臣、「風神」と呼ばれていた立花道雪(たちばなどうせつ)という人物と肩を並べるほどでした。

こうして大友家は立花道雪高橋紹運、そして高橋紹運の息子、立花宗茂を筆頭に、6ヶ国を支配するまでに至るのですが、島津家と衝突した戦い、耳川の戦いにより大友軍が大敗し、多くの家臣がなくなってしまいます。1578年の出来事でした。

立花宗茂についてはこちら

1585年には立花道雪も病死により亡くなってしまい、大友家を支えているのは実質高橋紹運ただ一人なってしまいます。

1586年、島津家が再び高橋紹運が守る大友家の領地へ攻めてきます。

その数なんと2~5万だったといわれています。

対して、紹運がもつ兵力はたったの「763人」

さすがの紹運もこの兵力差でまともに戦う事は不可能でした。

しかし、降伏することなく城に立てこもり763人全員が戦死するまで戦うのでした。←岩屋城の戦い

高橋紹運は1586年7月27日、自害により生涯を終えます。

享年39歳。現在であればあまりにも早い死ですね…弱肉強食の戦国時代の厳しさを物語っているでしょう。

高橋紹運の名言!

高橋紹運の名言にこのようなものがあります。

「主君が弱った時に見捨てるのは武士ではない。あなたたちは島津家が弱ったら見捨てるのか?」

これは、岩屋城で高橋紹運が立てこもっている際に島津家に放った言葉です。

763人という圧倒的な兵力差に島津側が「大友家は弱くなっから降伏すべきだ」との問いに対して紹運が上記のように言い返したことから島津軍の兵士も感心させられた。

と、このような逸話が残されています。

めちゃめちゃかっこいいですね!

以上、高橋紹運の紹介です。人生の多くを家臣として大友家を支える人生だったのでした。

大友宗麟についてはこちら

 

 

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