大友氏の歴史について簡単にわかりやすく解説!

大友氏について解説 大名家
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大友家は九州北部を支配していた大名として有名ではありますが、元は相模(現在の神奈川県)を拠点とした大友郷に始まります。

九州に移り住んだのは、大友氏三代目当主である大友頼康です。

その時九州を支配していたのは薩摩を支配する島津氏、筑前や肥前(現在でいう長崎県)を支配していた少弐(しょうに)氏、そして大友氏の3勢力でした。

1496年(応仁の乱の29年後)、17代当主義右(よしすけ)は父である政親(まさちか)に対立したことにより暗殺され、その正親も大内氏によって暗殺されてしまいます。

その後、義右の叔父にあたる親治(ちかはる)が分国法を定め、大友家を発展させ国力を高めていきます。

大友氏の中で一番有名であろう人物、大友宗麟が当主になったのは1520年の事。

20代当主の義鑑(よしあき)が跡目争いにより家来に殺されてしまい、長男であった宗麟が大友氏21代目当主となるのです。

宗麟が当主となってからは大友氏は急激に勢力を伸ばし、九州6ヶ国を支配するにまで至りました。

しかし、1578年に起きた耳川(みみかわ)の合戦で島津氏と争うが大敗してしまい、その後は自国の領地をどんどん進行されてしまいます。

その後、豊臣秀吉による九州攻めが開始され、宗麟は助けを求め降伏しこのピンチを何とか乗り切ることに成功しました。

領地は残念ながら豊後(大分県)一国となってはしまいますが…

その後、宗麟が死んでからは義統(よしむね)が後を継ぐようになりますが、この人物は性格が臆病であったため、戦国時代にはとても不向きな性格であったことから領地を失ってしまいます。

1600年の関ヶ原の戦いにおいては西軍に属することになり、黒田官兵衛と戦いますが負けてしまうことに…

こうして大友氏の大名への復興は成し遂げられず、失敗したのでした。

江戸時代では、大友氏の血を継ぐ者は大名家や旗本の家臣となり存続しています。

大友氏の知名度:★★★★★★☆☆☆☆

 

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