浅井亮政についてわかりやすく解説!小谷城1516年築城説は嘘!?

浅井長政の祖父浅井亮政について紹介しています。 浅井家
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浅井家は三代にわたり北近江を支配するまでに至りました。
そしてその礎を気づいたのが浅井長政のおじいちゃんに当たる浅井亮政です。

今回はこの亮政がどのような人物だったのかわかりやすくご紹介しようと思いますね!

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浅井亮政についてわかりやすく解説!

浅井亮政は1491年に生まれました。親は父親に関しては浅井直種と言う人物ですが母親は分かっておりません。(^^;)

当時浅井家は北近江の大名ではなく京極氏という守護大名が支配していました。亮政はその被官(簡単に言うと部下)に過ぎなかったのです。

そこで亮政は下剋上により北近江の大名として君臨することになりました。

きっかけは1523年、当時の京極氏の当主「京極高清」の重臣・「上坂信光」という人物が好き勝手でわがままの性格であったためそれをよく思わなかった亮政ら部下たちは「浅見貞則」を盟主として一揆を起こし京極高清と上坂信光を追い出してしまいます。

しかし、これで事が負えるのかと思いきや、その後は盟主となった浅見貞則の好き勝手なわがままっぷりが目につくようになり2年後の1525年に亮政は彼に不満を持っている国の人々と共に討伐するのです。

さぁここでついに北近江で権力を握ることとなった亮政。しかしこの流れで行くと次も同じように亮政がやられてしまうことになってしまうと思われるでしょう。(^^;)

しかし、亮政の時には同じような繰り返しは起きませんでした…

なぜならその頃南近江を支配する六角氏という戦国大名が力をつけ北近江小谷城に攻め込んできたのです。そのため北近江の国の人々は国のリーダーが必要になり亮政を追放したり討伐したりすることはなかったのでした。

それから21年後の1546年、浅井亮政はなくなります。

小谷城1516年築城説は嘘!?

また、浅井亮政が築城した小谷城についてなのですが1516年に築城されたという説があるそうです。小谷城はいつ作られたのかいまだにはっきりしておらず定かではありませんが、1516年ごろの亮政は一被官に過ぎなかった事から小谷城を築城するほどの力を持っていないと考えると1516年小谷城築城説は嘘なのではないかと私は考えます。

1525年に六角氏が小谷城に攻め込んでいることからそれまでに築城されていることは間違いないでしょうけどね(^^;)

 

 

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