この記事では徳川家康のすごいところについて紹介していきたいと思います。
さて、徳川家康のすごい点なのですが、織田信長や豊臣秀吉といった他の三英傑の大名に比べて正直どれもこれも全体的に地味なんですよね。(^^;)
しかし、その地味さが結果的に天下人になることができた理由になったんだと思います。
徳川家康のすごいところ三選!
がまん強さ
徳川家康は我慢強い人物として知られていました。大きく分けて人生で3度大きな我慢をしており、一つ目は幼いころ6歳から19歳のころまで今川家と織田家の人質として生活していました。
2つ目は織田信長との同盟!
徳川家康や信長と同盟を組むのですが、時が経つにつれ織田信長が領地を広げるにつれこき使われるようになりました。さらに家康は長男を信長に切腹させられているのです。しかしそれでも逆らうと滅ぼされてしまうため従い続けました。
最後に豊臣秀吉の天下!
信長が本能寺の変で亡くなったため家康にも天下人となるチャンスが来るのですが、秀吉に先起こされてしまい秀吉に従う羽目になります。
その結果自分の領地を取り上げられ関東に移動させられてしまうのです。
このようにどんなにつらい目に合っていたとしても逆らわず従い続けたことは家康のすごいところに値するのではないでしょうか。もしこららのどこかで裏切り攻撃を仕掛けていれば徳川幕府は誕生していなかったでしょうから(^^;)
健康に気遣うところ
家康は天下人となった後も油ものなど豪華な食事はせず質素な魚や野菜、玄米を食べていたそうです。さらに、医学に関しては医者並の知識を持っていたとの事!
結果、75歳まで長生きしており戦国時代の平均寿命が30歳前半であったことを考えると相当長生きしていると言えるでしょう。
いつ戦死するか分からない世の中で健康に気遣う家康はすごく珍しくすごいといえるのではないでしょうか。
自分の後継者育成に早い段階で手掛ける
家康には子供が合計16人、男子11人、女子5人の子供がいました。
対して秀吉は子供がなかなかできないことに悩み結果的に秀吉の血を受け継いだ息子は豊臣秀頼ただ一人となったのです。
家康は天下人になる前からこうして後継者育成に手掛けており豊臣の天下が数十年で終わりをつげ徳川の天下が何百年も続いたのはこの差にあるのです。
先を見据えた家康の行動が家康のすごさの一つじゃないでしょうか。
徳川家康のすごいところまとめ
どうでしたか?家康って運に運を重ねて最終的に天下人となったイメージが強いのですが、このことを知れば地味ですが徳川家康のすごさを知ることができたかと思います。
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