戦国時代の戦術を大きく5つに分けて紹介!

戦国時代の戦術について解説します。 合戦
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戦国時代、戦に勝つために敵国と自国の軍の割合や、物資の量などなど、様々な状況に応じてあらゆる戦術が使われてきました。

今回はそんな戦術についてまとめましたので、大きく5つに分けて紹介していこうと思います!

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戦国時代の戦術を大きく5つに分けて紹介!

1.野戦

まずはやはり王道の野戦から。

野戦は文字通り何もないところで軍と軍とがぶつかって総力戦を行うものですが、両軍の兵力が同じくらいの場合、もしくは存亡をかけて戦う戦において野戦は行われてきました。

そして野戦は両軍の兵力、足軽主体なのか、騎馬主体なのか、はたまた鉄砲主体なのかといった内容地形によって部隊を様々な形に並び替えて戦っていました。

これがいわゆる陣形というもので相手の陣形によって味方の陣形を変えることもあったのです。

陣形についてはこちらでまとめています。

関ヶ原の戦いでは西軍は鶴翼の陣形、川中島の戦いでは武田軍が鶴翼の陣形、上杉軍が車懸の陣を使ったことが有名ですよね!☻

各部隊はそれぞれ数百から数千で構成されているため何万単位での兵が激突するのです。そのことから野戦での戦いに「」とか「」といった名前がつくのはそれだけ広い土地を必要としたからなんです。

また、部隊に命令を送りコントロールする本陣と各部隊の間には命令をいち早く送るために部隊間には使番(戦において伝令や使者を務める職業)がいました。

野戦の主な戦いに武田信玄対上杉謙信の川中島の戦い。織田・徳川対浅井・朝倉の姉川の戦い。島津対大友の耳川の戦い。1600年に起きた天下分け目の大戦、関ヶ原の戦いなどなど。

どれもこれも原や川など広い土地で行われていたことが分かりますね!また、野戦はどの戦も両家の存続を左右するものになっていますよね…

2.籠城戦

籠城戦(ろうじょうせん)とは城にこもって戦をすることです。

両軍の兵力差が大きくある時につかれる戦術で、基本的には少ない方が城にこもり、兵力が多い側が城の周りを取り囲む状況となります。兵が多い側が籠城することはまずあり得ません。

籠城戦で籠城する側が勝利する道は大きく分ければ2つあります。一つは長時間城にこもることにより近隣諸国の情勢が変化し包囲側が包囲を解かざる終えない状況に陥ること。二つ目は味方の援軍が来るのを期待できる場合であること

どちらにせよ長く城にこもり時間を稼がなければなりませんよね💦そこで籠城戦術で一番重要になってくること!それが兵糧・水を備蓄しておくことです。

武将は籠城戦を想定して常日頃から城に兵糧を蓄え枯れることがない井戸をいくつも用意していたといわれています。

あの加藤清正は熊本城の城郭内の草木を全て実がつくものを植え、畳も芋茎という食べれるものを使っていたそうです。

実際に籠城戦となると籠城する側は住民を城内に入れ、敵に武器や食料が渡らないようにするために周辺の建物や畑は焼き払います。

一見食料の消費を抑える為に住民を城内に入れるのはやめたほうがいいと思う人もいるかもしれませんが、敵が住民を労働力として使ったり城内の情報が漏れないように城内に入れる必要があったのです。

3.攻城戦

籠城戦とは反対に、城を攻撃し攻め落とすこと!これが攻城戦です。

一般にこの戦術では城内の兵力の約3倍の兵力が必要だといわれておりたとえ兵力的に優勢であったとしても力づくで攻め落とすために相当な損害が出ることは覚悟しなければなりませんでした。

そのため武田信玄は「攻城戦をする際10倍の兵力であれ!」と言っていたそうです。

実際に城攻めをする際、まず城を包囲してから攻撃をします。敵はもちろん城の隅で待ち構えているため身を守るために3.4人くらいが隠れることができるほどの大盾や鉄砲から身を守るための竹束などを持ち攻め込みます。

また、戦国時代には建物が木のでできているものが多いことから火を使って攻めることも有効手段でした。

以上が力づくで攻め落とす方法ですが、時間的余裕や周りのから攻撃を受ける危険がない場合は兵糧攻めが行われました。

兵糧攻めの際には何人たりとも通れないよう包囲の徹底を図り外部と城との連絡を取れなくし、敵の援軍を受けてる場合を想定し陣を築くための陣地を作ります。これが兵糧攻めの際の定石です。

豊臣秀吉は兵糧攻めが得意な武将として有名で、備中高松城攻めでは水攻めも行っております。水攻めも状況次第では立派な兵糧攻めとなりますね!

4.奇襲戦術

織田信長が桶狭間の戦いで今川義元に奇襲戦術によって勝利したのがやはり有名ですよね!

そう!奇襲戦術は兵力が少ない場合、そして援軍が来る見込みもない場合に有効な戦術でした。他にも兵糧攻めや攻城戦といった損害が出ること、時間がかかることを避けたい場合にも奇襲戦術は使用されます。

奇襲戦術とひとくくりにしましたがありとあらゆる手段があります。例えば予測できない場所からの攻撃、伏兵を忍ばせて相手をかく乱させるかく乱攻撃、夜陰に紛れての夜襲などです。

しかし、これら奇襲戦術を成功させるためには様々な問題点がありました。一つは音!奇襲をする以上相手に気付かれてはなりませんよね💦そのため防具の金属の音を鳴らせないように藁(わら)や縄を挟み、馬の脚にも音が出ないように敷く必要がありました。

2つ目に敵味方の区別がつかないこと!

どちらの軍の兵が判別するための旗印、戦においてかかせないもので味方に見せる為であるがゆえに非常に目立ちます。それを奇襲戦術の時に掲げると目立ってしまい気づかれてしまうことがありますから当然掲げることができません。その上夜襲となるとさらに判別はつかなくなってしまうでしょう…

そこで奇襲戦術においては合言葉を使用していたそうです。

最後に相手に情報が漏れないように注意すること!

もし奇襲戦術をする場合、絶対に相手に知られてはなりません。もし相手に知られてしまうと相手は奇襲をしてくることが分かっていることになるため奇襲が失敗するどころか逆に返り討ちに合い大きく兵を損失する結果に繋がってしまいます…

織田信長はこれを防ぐため桶狭間の戦いにおいて軍議をすることなく重臣にも奇襲作戦をすることをギリギリまで話しことはしませんでした。

5.電撃急襲戦!

最後に電撃急襲戦です!

おそらく歴史に詳しい方でもあまり聞かない言葉でしょう。

奇襲戦の一種とも言われていすが本隊が迅速に行動することによって結果的に生まれる奇襲がこの電撃急襲戦となります。相手の予測範囲内よりもさらに常軌を逸した速度で進軍し、攻撃を仕掛けることによって体勢や準備を整えることなく戦の勝利をもぎ取る戦術です。

多くの場面で電撃急襲戦術は使われてきましたが、やはり一番有名なのは秀吉が本能寺の変後に見せた中国大返しでしょう。主君信長が明智光秀に討たれたと知った秀吉は戦っていた毛利家と停戦を結び、わずか6日間という短期間で備中高松城(岡山県)から大軍を山崎(京都)まで進軍させます。

その距離なんと187キロメートル!

予測し得ないスピードで攻撃を受けた光秀は簡単に敗北してしまうのです。(^^;)

しかし、電撃急襲戦にもデメリットがありいくら速いといってもそれは軍の本隊のみでそのほかの部隊はどうしても遅れてしまう事。当然何万もの大軍すべてを同じ速度で移動させることはできませんからね。髪でもない限り不可能でしょう。

その結果陣形はバラバラになってしまいもしその途中で誰かに攻撃されてしまえばひとたまりもありません。

そのため移動する場所は味方の領地であることが絶対条件でした。

戦国時代の戦術まとめ!

今のような近代兵器や連絡手段もない時代にもこれらのように様々な戦術があったなんて驚きですよね!

細かい事を言えば戦術としてはまだまだたくさんあるでしょうが大きく分けるとこれらに分類されるでしょう。

通常「関ヶ原の戦い」「長篠の戦い」など合戦の名前を知りどちらが勝った、負けたを知っている人は多いでしょうが、どのような戦術が使われどのような状況であったのかなど詳しく知っていくと戦国時代がもっと楽しくなると思いますよ!

 

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