織田信長と斎藤道三の関係について紹介!

織田信長と斎藤道三の関係について紹介 斎藤家
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尾張(愛知県)の大名織田信長

美濃(岐阜県)の大名斎藤道三

二人の関係についてどのようなものだったのか紹介していきます!

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織田信長と斎藤道三の関係について紹介!

斎藤道三は織田信長の舅

舞台は1548年、当時織田家は天下統一どころか尾張一国すら統一できてないほどの弱小勢力でありましたが、近隣諸国では南に駿河の大名今川義元、北には美濃の大名斎藤道三に挟まれるといった過酷な環境に陥っておりました。

そこで織田家は北からの脅威をなくすために斎藤家と和睦交渉に入ります。和睦を結ぶために当時14歳の信長を斎藤道三の娘帰蝶と政略結婚をさせます。

帰蝶と夫となった信長にとって斎藤道三は義理の父親(舅)となったのです。

織田信長と斎藤道三の初対面

信長が初めて道三と対面したのは帰蝶と結婚してから一年後の1549年の事。

二人は正徳寺という寺で会見を開くことに。

知っている人は多いと思いますが若い頃の織田信長は「尾張の大うつけ」と呼ばれており自由奔放で身なりもひどく常識もない大ばか者と周りからの評判でした。

その評判は道三の耳にも届いており道三は会見が行われる前に一度信長の姿を一目見ようと考えます。

こうして信長にばれないようにしながら遠くから眺めてみたその姿はまさに大うつけそのもの!!

評判通りの信長の姿を見て呆れた道三、この段階での娘婿の評価は最悪なものとなりました💦

あの姿ならわざわざ正装で会見に出る必要もないだろう

こう考えた道三はいつもの普段着姿で会見に臨みます。

しかし、いざ会見の場で道三が目にした信長の姿は大うつけとは程遠いきっちりした身だしなみでの登場でした。

礼儀作法も完璧で織田軍の武装も完璧であったことから道三はあっけにとられ信長の器量の大きさを思い知らされるのでした。

この時点で道三は「やがて美濃は信長のものになるだろう」と言い残したと言い伝えがあります。

信長を高く評価した道三。正徳寺の会見以降は信長が尾張統一するための後ろ盾となるのです。

斎藤道三戦死時の織田信長の行動

正徳寺の会見から約7年後の1556年、そりが合わなかったことから道三の嫡男義龍と、道三は対立することになります。命をかけての親子喧嘩です…

大半の兵力は義龍側についたため、美濃のマムシと恐れられた道三であっても厳しい状況に陥りました。

結局道三は戦力差を覆すことはできず、息子に追い詰められ戦死してしまうのです。

この戦を知った時、信長はすぐさまわずかな兵を率いて道三がいる美濃まで救援に向かっています。

結局間に合いあうことはなかったのですが、その後道三の遺言状を受け取った信長。道三から「美濃を任せた!」との内容が。

そうして義理の父親との約束を交わした織田信長。これから約束を果たすために身を乗り出していくのです!

斎藤道三と織田信長の関係については以上となります。

お互い会見を初対面してからは信頼関係が築けている感じがしますよね~☻

二人の関係についてご理解いただけましたでしょうか?

 

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