織田信長の城!代表的なものをいくつかご紹介!

織田信長の城を紹介 織田家
スポンサーリンク

この記事では織田信長に関連する城を代表的なものからちょっとマイナーなものまで浅く広くいくつかご紹介したいと思います!

戦国時代ファンの方々はぜひ御覧になってくださいね!

スポンサーリンク

信長が居城にした城

まず最初は信長が居城にした城の紹介です。

1.那古屋城(なごやじょう)

織田信長が誕生した場所とされる尾張(現在の愛知県名古屋市)にある那古屋城。

もともとは今川家の城だったのですが、織田信長の父織田信秀が信長が生まれる2年前に奪い織田家の城となりました。

この那古屋城を信秀はまだ幼かった嫡男の信長に任せるのです。

※同じ読み方の名護屋城という城があるのですが、この城は佐賀県にある城で朝鮮出兵のための拠点として作られた城なので、混同しないようにご注意くださいね。

2.清洲城(きよすじょう)

那古屋城の次に信長が居城に選んだ城。同じく尾張にある城ですが、那古屋城よりも若干北西に位置し、現在の清須市にある城です。

清須城は鎌倉街道や伊勢街道が合流する場所であり交通の要所だったため那古屋城よりも人々が集まることから1555年に信長が居城にします。

それから1562年までの約7年間信長の本拠地となりました。

桶狭間の戦いで織田信長が出陣した城、徳川家康と信長が同盟を組んだ場所。これらも清州城で行われたのですよ!

3.小牧山城(こまきやまじょう)

1563年、信長は新たに本拠地を小牧山城に移します。

小牧山城は清洲上と同じく尾張にある城ですが、それよりもさらに北東に位置する現在の小牧市にあった城です。信長はこの地に小牧山城を築きます。

本拠地を移した理由は信長が尾張を統一した後、つぎに攻略先に選んだ美濃(現在の岐阜県)により近い場所に移るため。

小牧山は86メートルの山で、美濃はもちろん濃尾平野を一望することができたのです。

美濃を攻略するまでの4年間、本拠地として使われました。

ちなみに徳川家康と豊臣秀吉の戦、小牧・長久手の戦いで家康が本陣を置いたのもこの小牧山です。

※現在は小牧山全体が史跡公園となっております。

4.岐阜城(ぎふじょう)

美濃攻略後、斎藤家の居城稲葉山(いなばやま)城を改名したのが4番目の信長の本拠地である岐阜城です。尾張よりもより京に近く上洛しやすいことから信長は岐阜の地に居城を移しました。

1567年から1578年の11年間の間、岐阜城を本拠地にした信長は上洛、信長包囲網、姉川の戦いなどなど天下統一に向けて身を乗り出すことになるのです。

5.安土城(あづちじょう)

最後に、信長の城として最も有名な安土城。

安土城は滋賀県にある琵琶湖東岸に位置する安土山を丸ごと城郭にした城です。

日本の大半を攻略し、戦国時代でもっとも天下人に近い人物となった織田信長はかつてのどの城よりも豪華で巨大な城の築城を1576年に開始します。

築城した理由は水路を使って全国各地の名産品を運び入れることができる、岐阜よりもさらに京に近い場所、上杉からの攻撃に備えることができたなど多くの理由があるといわれています。

信長はこの城で自分が天下人だと言わしめようとしたのでしょう!

しかし、1582年の本能寺の変後、安土城は消失してしまうのです…

大きな出来事にもかかわらず、犯人は今でも分かっておりませんが、説としては明智光秀の重臣、明智秀満。もしくは織田信長の子、織田信雄と言われています。

信長に関連する代表的城

勝幡城(しょばたじょう)

勝幡城は信長の出身地尾張(現在の愛西市に位置する)城です。

実は、信長の生まれた場所は諸説がありこの勝幡城ではないかとも言われています。

二条御所(にじょうごしょ)

信長が将軍足利義昭のために築いた城の様に防御性能を持った館の事。

三好三人衆という13代将軍を暗殺する事件を起こした人物から足利義昭が襲われたことをきっかけに信長によって建てられました。

宇佐山城(うさやまじょう)

宇佐山城は現在の滋賀県大津市南滋賀町にあった城

当時信長と敵対していた浅井、朝倉は京に行くためにはこの宇佐山の地を通らなければなりませんでした。

そこで、織田信長は家臣の森可成に浅井朝倉に京に入れさせないために宇佐山城の守りを任せるのです。

森可成は浅井朝倉連合軍数万の猛攻撃を受け討ち死にしてしまうのですが、京への侵入を防ぎ、数千の兵で信長の援軍が来るまで勇敢にたたかったと伝わっています

信貴山城(しぎさんじょう)

信貴山城は信長を2度も裏切ったとされる松永久秀(まつながひさひで)の居城。現在の奈良県に位置していました。

信長は裏切り者を消して許さないことで有名であったため一度ならず二度までも久秀の謀反を許したのは異例の事態でした。

信長は使者を送り込み理由を伺おうとしたが久秀は拒絶。使者に合おうともしませんでした。

そのため信長は信貴山城に向けて総勢4万もの大軍を信貴山城に向かわせるのです。

長浜城(ながはまじょう)

長浜城は信長が浅井家を滅ぼしたのち、浅井家との戦いで武功を上げた秀吉が信長に与えられた浅井長政の旧領である北近江(現在の滋賀県)の地に築城した城です。

当時、この地域は今浜と呼ばれていたのですが、信長の「」の文字を取り「長浜」と改名され長浜城の名がつけられました。

タイトルとURLをコピーしました