千利休の弟子まとめ!利休七哲をそれぞれ紹介!

千利休の弟子を紹介 戦国時代の文化
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千利休という名前は大学受験にもよく出てくる人名ですし、高校や中学の教科書にも出てくるほどですから知っている方が多いのではないでしょうか?☻

彼はわび茶と呼ばれる茶道を完成させた人物ですが、そもそも茶道を戦国武将の間に流行させたのは皆が良く知る織田信長でした。

織田信長は褒美として与える領地がなくなってきたため自分が好きだった茶道で使う茶器を代わりに褒美として与えていたのです。

その結果、豊臣秀吉も茶道を好むようになったことから茶道が武将の間で流行し、数多くの武将が千利休の弟子になりました。

今回は、そんな千利休の弟子について紹介するのですが、弟子の中でも特に優れていたとされる利休七哲と呼ばれていた人物を紹介していきますね!

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千利休の弟子まとめ!利休七哲を一人ずつご紹介

蒲生氏郷(がもううじさと)

蒲生氏郷は、13歳から信長の人質として過ごしていましたが、頭脳が優れていることから信長の娘である冬姫と結婚しました。

本能寺の変後に豊臣秀吉に従い小田原攻めや九州攻めで活躍。秀吉から「100万人の大軍を指揮させてみたい」と言われているほどの才覚を発揮したのです。

あまり知られてはいない武将ですが、能力は有名武将に匹敵していたかそれ以上だったでしょうね(^^;)

また、氏郷は千利休の弟子の筆頭としても活躍しておりました。利休が秀吉を怒らせたとして切腹しなくなった後に、利休の息子を会津にかくまったとの事です。

細川忠興(ほそかわただおき)

細川忠興は明智光秀の娘の珠(たま)を妻に迎え入れた人物です。別名ガラシャ。

もしかするとガラシャという名前は聞いたことあるのではないでしょうか。

忠興は、茶道の名人としてだけではなく和歌、絵画なども楽しむ文化人で知られています。利休の死後は三斎流(さんさいりゅう)という新しい茶道の流派を開きました。

また、父親の細川幽斎(ほそかわゆうさい)は戦国武将の中で最高の文化人だったとの事。

古田織部(ふるたおりべ)

古田織部は文化人としての知名度はすごく高いですが、茶会に初参加したのはどうやら40歳の時が初めてとの事。

美濃の生まれでで織田信長に仕えておりましたが、本能寺の変後は豊臣秀吉に使えるように。

そして、茶道に関しては、長い間武士とし過ごしていたためか実に戦国武将らしい美的センスを千利休に褒められ、自由で大胆な茶道をしていたそうです。

古田織部が創始した織部焼は今でも有名ですよね☻

高山右近(たかやまうこん)

高山右近は幼いころからの父親の影響を受けて育ったためキリスト教信者でした。なので、茶室で神にお祈りをしていたそうです。

右近は信長に仕える荒木村重(あらきむらしげ)という人物の家臣だったのですが、村重は信長を裏切ったため信長は部下の右近にも降伏を迫ります。

降伏をしなければ周りのキリシタンすべてを処刑する

信長にこういわれた右近は村重と別れ信長に降伏しました。

後に、秀吉や家康によってキリスト教を禁止され国外通報を受けたキリシタン。キリスト教は切り離せない存在で棄教できなかった右近もフィリピンまで逃げることなったのです。

千利休とは、その際多くは語らず決意を述べ、千利休もまた、右近の心中を察し多くは語らず見守っていたそうですよ。

素晴らしい師弟関係ですね。

牧村利貞(まきむらとしさだ)

稲葉重通(いなばしげみち)という織田信長の馬廻として活躍した人の子供に当たる人物です。

千利休が織田信長に仕えていた時から弟子として茶を学んでいたとの事。

信長の死後、秀吉へと主君が変わっていた利貞は高山右近にキリシタンに誘われキリシタン大名としても有名です。

1593年、利貞は朝鮮出兵の文禄・慶長の役にて病死。父親重道は1598年に亡くなったため、つまりは残念ながら逆縁という事になりますね。

馬廻:大将が馬に乗っている間、馬に乗って周囲に付き添い警護する人の事。

瀬田正忠(せたまさただ)

瀬田正忠は別名を瀬田掃部といい、豊臣秀吉の家臣に当たる人物です。まぁ千利休の弟子とあれば秀吉の家臣が多いのは当然ですよね💦

しかし、この瀬田正忠、生年月日は不明ですが最初は北条氏に仕えていたとの説があります。

利休七哲の一人であった瀬田正忠、名前からとった掃部形が有名です!

芝山宗綱(しばやまむねつな)

芝山宗綱は生まれも死亡時期も全く不明で謎が多い人物です。

しかし、信長を裏切った荒木村重の家臣であり、芝山宗綱はその際村重を見限り信長側に残ったとの事。

その後は秀吉の馬廻として仕えます。

茶人としては一番千利休と仲が良かったそうで、現在発見されている千利休が書いた手紙の宛ては芝山宗綱のものが最も多いのだそう。

以上、利休七哲についての紹介でした。ちなみに7人の中でも特に茶人として優れていた蒲生氏郷細川忠興芝山宗綱の三人は利休門三人衆と呼ばれています。☻

 

 

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