島津家の歴史について簡単にわかりやすく解説!

島津家の歴史について解説 大名家
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島津家は元は京都の公家近衛(このえ)家つかえていた惟宗(これむね)氏の出身でした。

島津家初代当主忠久(ただひさ)が、薩摩、大隅にまたがる島津荘(しまづそう)を任されたことから姓を島津に変え、島津氏と名乗るように。

そして忠久は薩摩と大隅の守護を任され、後に日向の守護も任されることになります。

3代目当主久経(ひさつね)の時に、元(げん)の襲来に備え九州に移住。

1553年、5代目当主貞久(さだひさ)の時は鎌倉幕府打倒のために足利尊氏(あしかがたかうじ)に協力し、活躍。自身の地位を確固たるものにします。

そして、戦国時代。

島津家は親族間同士で争い合っていました。かなり仲が悪かったのです。

14代勝久は、島津家の実権を握っていた分家の実久(さねひさ)に対抗し、争っていました。

対抗するには味方が必要であったため、実久とは別の親族である忠良(ただよし)という人物を頼るのです。

1526年には見事、15代当主を忠良の息子である貴久(たかひさ)に継がせることに成功します。

貴久についてはこちら

両者の争いは10年もの間続きましたが、最終的には貴久の勝利に終わります。

そして貴久は優秀な4人の息子と共に島津家を再び発展させるため、九州を統一するために乗り出すのです。

伊東、竜造寺、大友と、着々と他家の領地に侵攻し、九州全土を支配するかに思えたのですが、直前で秀吉が九州攻めを開始。島津家は20万もの兵の格好の的になってしまいます。

結局島津家は降伏し、薩摩と大隅を領地として収める結果となりました。

1602年には、新しい城を築き、新たな時代の本拠地としてまた新たなる一歩を歩みます。

そして、幕末、島津氏は江戸幕府を倒し、現代の歴史に大きく関わっている勢力となっていくのです。☻

 

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