島津義久!九州を大部分を支配するに至った島津4兄弟の長男

島津義久の生涯について紹介します。 大名
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島津義久(しまづよしひさ

島津4兄弟の長男ですね!

おそらくですが「島津には4人の優秀な兄弟がいる」という事はご存知の方が多いかなーとは思いますが一人一人について詳しく知っている人はそう多くはないでしょう。

そこで今回はその内の一人である長男「島津義久」について紹介していきます

島津義久の知名度:★★★★☆☆☆☆☆☆

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島津義久の生涯!長男としての役目を全う!

1533年2月9日、島津義久は薩摩の島津貴久(しまづたかひさ)の長男として誕生しました

最初は弟三人と一緒に父親に従いながら戦に参加し、島津家は薩摩と大隅を支配するまでに至ったのですが、1566年、33歳の時、父が病気により亡くなった後は島津第16代当主として父の後を継ぎます。

島津義久の父、貴久について

その後は日向(現在の宮崎県)をも支配するほどの大名へとなるのです!

それからというもの九州を統一するために北上に身を乗り出りだすことに!

まずは、九州のもう一つの大勢力、大友軍を1578年に豊後(現在の大分県)の耳川の戦いで完全に打ちのめします。

つぎに、1584年には長崎や佐賀を支配する竜造寺隆信を沖田畷(おきたなわて)の戦いで討ち取ります。

島津義久を当主とし優秀な三人の弟をもつ島津家にとって、合戦の結果を見ればわかる通り、大友家や竜造寺家はそこまで大きな敵ではなかったのですよね(^^;)

しかし、いざ大友家を滅ぼさん!と大友家重臣、高橋紹運(たかはしじょううん)が守っている岩屋城を落とし、九州統一目前まで迫った時の事。

高橋紹運について

岩屋城の戦いについて

大友氏が豊臣秀吉に「島津から家を守ってくれ!」と助けを求めたのです。

秀吉は九州攻めのために20万もの兵力を従え島津に攻め込んできたため義久も「さすがに勝ち目がない」と考え早急に降伏。💦

長年かけて、大隅、日向と九州を着々と統一していった島津義久だったのですが、秀吉によって元の領土である薩摩のみの支配を許されることに。

九州統一を夢見ていた島津義久でしたが、野望は秀吉によって阻まれてしまうのでした💦

1611年1月21日、病気により79歳で、島津義久はこうして波乱な人生を終えるのです…

 

 

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